300年前に二宮で水田開発した萬年さんの功績

こんにちは!プリンスジュンです!

プリンスジュンのジュンは、「淳」です。淳という字の意味は、混じり気がないという意味から、純粋で清らかな様子、素直な性格といったイメージをもつ漢字らしいです。

さて、二宮駅の近くに水田があったって知っていますか?

 

萬年橋は萬年さんの名前が由来

二宮町中里の旧道沿いにある「萬年橋」をご存知ですか?

 

 

二宮のコミュニティスポット「e:n coffee(エンコーヒー)」の横にある橋です。

 

 

萬年橋の場所には「萬年堰(せき)」がありました。堰(せき)というのは、多目的ダムのように水を引き込み水車や水田に利用する施設です。この堰を作った人が萬年さんです。

 

萬年堰跡が今でも記されています。蔓年さんは代官でした。代官とは、江戸時代、幕府直轄の地を支配して、その地の民政をつかさどった地方官の事です。萬年さんの通名は「萬年七郎右衛門高頼」です。萬年さんは萬年堰を作り、農民たちと協力して水田開発に力を入れました。

 

葛川をせき止め、水路を作り水田開発した

池田精一郎氏著書「大正初期の正月行事と元町地域の景観その変貌」参照

萬年さんは万年橋のすこし上流に堰を作り、葛川の水をせき止めました。そうすることにより水かさを上げ、水を勝負前(二宮駅北口側)まで流れる様にしたのです。

 

水田開発により人々の暮らしが豊かになった

今の航空写真で見るとこんな感じです。萬年さんが作った萬年堰のおかげで、多くの水田を開くことができ、お米もたくさんとれる様になりました。そして、人々の暮らしも豊かになったそうです。また、萬年さんは代官として、天領(江戸幕府が直接支配する土地)であった国宮をよくおさめました。仏教を信じる心もあつく、大応寺のために寺をつくったと伝えられています。萬年さんの墓は今でも大応寺に残っています。

 

自然の姿が残っている

萬年橋の脇を入り、川沿いを歩いてみたら、そこは何だか別世界に足を踏み入れた様な、ネイチャーワールドが広がっていました。

 

 

二宮だけど二宮じゃない様な、不思議な気持ちになる場所。

 

 

二宮の歴史を紐解きながら、まだ見ぬ景色に出会いたい。