二宮町では昔、塩が作られていた

こんにちは!プリンスジュンです!

私の好きな食べ物は「秋刀魚の塩焼き」です。焼き鳥はタレじゃなくて塩派です。

さて、二宮で塩作りされてたって知っていますか?

 

二宮の海で塩作りされたから「塩海」

二宮町内で「しおみ」と呼ばれている地域名称があります。二宮町二宮「下町(しもちょう)」の海側です。

 

 

「しおみ」は元々、塩海(しぼみ)と呼ばれていて、「しぼみ」が「しおみ」に変化したのだと思います。今でも「塩海橋」や「しおみクリニック」「ダーチャ・シオミ」「ファミーユしほみ」という名称の施設や建物が残っています。

 

 

塩海橋の袂には「塩海の名残りの碑」が建てられています。これは、かつての製塩地であったことを示す記念碑であり、地域の歴史を伝える貴重な遺産となっています。

「塩海」という漢字で予想できるかもしれませんが、二宮は古くから塩の製造が行われて、江戸時代には「揚浜式」と呼ばれる砂浜に海水を撒いて塩分を含んだ砂を集めて煮詰める方法で明治初年あたりまで続けられていたそうです。年貢として塩を納める「塩年貢」の制度も存在していたそうです。

 

 

秋葉神社は塩海の火災がきっかけの火防の守護神

二宮町の富士見が丘の坂を上がった場所にある秋葉神社をご存知でしょうか。

 

 

秋葉神社は塩海エリアの下町の守護神です。塩海の塩作りで火災が再三にわたり発生し、1772年に塩海の人達が願主となって秋葉(火伏せの神)の権現(ごんげん)をこの地に迎え入れたと記録されています。

 

 

また、明治5年にの神仏分離令の発布により火伏せの神として一層町民の信仰心が篤くなり、現在まで引き継がれているそうです。ちなみに、1970年に富士見が丘の分譲地が造成される時にこの秋葉神社は100mほど移転されています。

 

秋葉神社に隣接して公園があります。公園入口に藤の花が咲いていていました。

 

景色が良い場所を求めて、塩作りを知った

秋葉神社の脇道の奥に階段がありますよね。ここの階段を上る途中に見えた景色がこちら↓

 

 

ハッとしました。高台から二宮の町並みを見渡す。

 

 

階段を上りきった場所からの景色がこちら。気持ち良いですね。

 

二宮町内の景色が良い所を求めていたら秋葉神社がありました。秋葉神社の事を調べたら塩海の火災を知りました。塩海の事を調べたら、二宮町で塩作りしていた事を知りました。そして、この記事を書いたのです。

 

もっと二宮の発見を伝えたい☆