「宮戸」という名字のルーツを探したら、二宮町の歴史にたどり着いた

こんにちは!プリンスジュンです!

突然ですが、皆さんは自分の名字の由来をご存じですか?

私は「宮戸(みやと)」という名字です。

私が育った二宮町山西・梅沢地区に「宮戸」という苗字を多く見かけます。

特に吾妻神社の入口付近を歩いていると、「あっ、宮戸さん」「また宮戸さん」ということが珍しくありません。

もちろん全国にも「宮戸」という名字はありますが、この狭いエリアにこれだけ集まっているのは、何か理由があるのではないか…。

そんな素朴な疑問から、今回ちょっと調べてみることにしました。

すると、思っていた以上に面白い世界が広がっていました。

「宮戸」という名字には、いくつもの説がある

名字辞典などを調べてみると、「宮戸」という名字にはいくつかの由来があるようです。

代表的なのは、

・神社(宮)の入口を意味する「宮の戸」が由来という説

・船着き場や河口を意味する「津(と・ど)」が転じたという説

・「谷戸(やと)」などの地形から生まれたという説

・全国各地にある「宮戸」という地名から生まれたという説

など、実にさまざま。

「これが正解です!」という一つの答えは見つかりませんでした。

でも、調べていて思わず声が出た記述がありました。

「神奈川県中郡二宮町山西を本拠とする。」

……えっ。

うちじゃん。

まさか名字辞典に、地元の山西が出てくるとは思いませんでした(笑)。

吾妻神社との関係はあるのだろうか?

ここからは、プリンスジュンの考察です。

「宮戸」という漢字をそのまま見ると、

宮=神社

戸=入口

と考えたくなります。

そして目の前には、日本武尊(ヤマトタケル)の伝説が残る吾妻神社があります。

もし昔、

「神社の入口に住んでいる家」

という意味で呼ばれていたとしたら…。

「あの宮の入口の家だから、宮戸さん。」

そんな呼び方が名字になったとしても、不思議ではないような気がします。

もちろん証拠はありません。

でも、こうやって想像するだけでも歴史ロマンを感じます。

子どもの頃から知っていた「宮戸醤油」

今回、一番驚いた出来事がありました。

実は、吾妻神社のすぐ近くには、かつて「宮戸醤油」という醤油蔵がありました。

私の実家からも近く、子どもの頃から当たり前のように知っている場所です。

二宮町で育った方なら、「宮戸醤油」という名前を覚えている方も多いのではないでしょうか。

でも私は、

「自分と同じ名字の醤油屋さんがある。」

そのくらいにしか思っていませんでした。

ところが調べてみると、その歴史に驚きます。

もともとは「ヤマニ醤油」という屋号で醤油造りを営み、昭和21年(1946年)頃に株式会社化した際、「宮戸醤油」という社名になったそうです。

その後、1990年代に、伝統ある「ヤマニ醤油」という名前へ戻したといいます。

そしてさらに驚いたのが、その歴史です。

宮戸家には20箱以上もの古文書が残されており、現在は神奈川県立公文書館で保管されています。

その古文書によると、宮戸家の先祖が山西村(現在の二宮町山西)で暮らし始めたのは約470年前

その後、山西村の庄屋(村主)を務め、天保13年(1842年)に醤油蔵を開いたと考えられているそうです。

子どもの頃から見慣れていた風景が、470年前までつながっていた。

これは正直、鳥肌が立ちました。

いつもの景色が、少し違って見えた。

吾妻神社。

旧東海道。

宮戸醤油。

そして梅沢の町並み。

今まで何気なく歩いていた場所ですが、「ここには何百年も前から宮戸さんが暮らしていたのかもしれない」と思うと、いつもの景色が少し違って見えてきます。

名字を調べ始めたつもりが、気が付けば二宮町の歴史を旅していました。

名字は、土地が残したタイムカプセル

もちろん、「宮戸」という名字の由来が本当に吾妻神社なのかどうかは分かりません。

もしかしたら地形が由来かもしれませんし、別のルーツがあるのかもしれません。

でも、一つだけ確かなことがあります。

この山西・梅沢という土地には、何百年も前から宮戸家が暮らし、地域とともに歴史を積み重ねてきた。

そう思うだけで、自分の名字が少し誇らしく感じました。

皆さんも、自分の名字を一度調べてみませんか?

もしかすると、思いがけない地域の歴史や、ご先祖様の物語につながるかもしれません。

※この記事について

この記事は、名字辞典や地域に残る資料、宮戸家に伝わる古文書などをもとに、私なりに調べた内容と考察をまとめたものです。名字の由来には諸説あり、本文中の考察には推測を含みます。歴史の面白さを楽しみながら読んでいただけたら嬉しいです。

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